みののまちの形成史
どうもこんにちは.
ちしつやのたまごです.
年末なので実家の岐阜に帰省したわけですが,ついつい気になって露頭へgoしてしまいます.
今日は長良川の川床,露頭が出ている場所へ...旧美濃橋という古い吊り橋が架かっている地点の真下です.現在橋は改修工事中ですが...
さて,この岩,両岸に少しずつ露出があるのですが,小さい頃はよくこの岩から飛び込んだり岩の周りを泳いでました.最高の遊び場です.毎年,夏場はこの周辺の河原にキャンプやバーベキューの客がわんさか来ていて,特にこの岩場の周辺は人気です.
でも,だーれにも気にしていない.この岩がなんなのか!!!
そりゃそうだろうと言われそうです...私も昔は興味ありませんでしたし.
で,久しぶりにちゃんと見てみようと思ったわけです.
画像は近くでその岩を見たときのものです.
汚れていてわかりづらいですが,チャートですね.どうりで川の流れに負けずに露出しているわけです.
高角度で上流側(北東側)に傾斜しています.
脇田(1995)の図幅によると,美濃帯堆積岩コンプレックスの金山ユニットに属するチャートである(Kch)ようです.橋の周辺も高角度で分布しているようですね.
また,ここから周辺地域の地形も踏まえて考えてみようかと思います.
旧美濃橋のすぐ南側の小倉山という山があります.
地質図をみると,小倉山は川のチャートと同じブロックの硬いチャートでできていて,長良川の流れに耐えて残った山であると思われます.
小倉山には金森長近が城(小倉山城)を作り,また東側に城下町を作りました.小倉山は標高が特別に高いわけでは無いですが,周囲に連続して山が分布せず,独立峰となっているため,山頂からはみのまちを一望できます.
また,小倉山の裏には長良川が流れており,水運にはもってこいの立地だったわけです.これがみのまちが栄えることができた理由です.
ミニチュア版の岐阜市がここにあるんですね.
美濃,おもしろい.
では.